相続が始まると、葬儀費用やお墓代、当面の生活費用など何かと出費が増えるため、亡くなった方名義の口座から現金を引き出そうと検討している方も多いと思います。
2019年の民法改正により、遺産分割前でも相続口座から払戻しを受けることができるようになりました。
ただし、払戻しを受ける方法には2種類あり、それぞれ条件も異なるため、注意が必要です。
そこで本記事では、相続後に利用できる仮払い制度について、いつ・誰が・いくらまで引き出せるのかといった基本情報や、必要な書類、利用時に注意すべきポイントについてわかりやすく解説します。
本記事を参考に、仮払い制度に関する基本的な知識や、実際の手続き方法をチェックしていきましょう。
まずは、仮払い制度が設立された背景について解説します。
相続に関する基本的なルールも関係してくるため、しっかり確認しておきましょう。
名義人以外からの払戻しを防ぐため、相続が始まると被相続人名義の預金口座は凍結されてしまいます。
そして、改正前の民法では遺言書がなく相続人が複数人いる場合、相続人全員の同意を得なければ、各相続人が単独で被相続人名義の預金を払い戻すことはできませんでした。
そのため、入院費用や葬儀費用の支払いなどの必要があっても、被相続人名義の預金口座から払戻しを受けられず、生活費や税金の支払いもできないというケースがありました。
そこで改正民法では、一定限度額の範囲内であれば、各相続人が単独で預金の払戻しを受けられるようになりました。
預貯金の払戻しを受ける方法は、銀行で直接手続きをする方法と、家庭裁判所で仮処分の手続きをする方法の2つがあります。
基本的には、費用や時間をかけずに早く払戻しを受けたい場合には銀行で直接手続きをし、費用や時間をかけてでも、より多くの払戻しを受けたい場合には家庭裁判所での手続きをおこなうことをおすすめします。
しかし、どちらの方法にもメリット・デメリットがあり、どちらが適しているかはケースバイケースで異なるため、迷ったときは弁護士に相談しましょう。
まず、銀行との間で直接払戻し手続きをおこなう方法です。
比較的簡単な手続きであり、必要書類も少なく、払戻しまでの期間が短いというメリットがあります。
一方で、払戻しを受けられる金額には上限が設けられているため、葬儀費用などのまとまった出費に対応できない可能性もあります。
次に、家庭裁判所で仮処分の手続きをする方法(仮分割の仮処分)です。
この方法では、基本的に払戻しに上限額は設けられておらず、まとまった出費にも対応しやすいというメリットがある一方、裁判所を通じた手続きであるため時間と費用がかかるというデメリットがあります。
仮分割の仮処分を利用するためには、次の要件を全て満たす必要があります(家事事件手続法第200条)。
特に、「遺産分割の審判・調停の申し立てがあること」という要件には注意が必要です。
たとえば、「他の相続人と特に相続トラブルは起きていないが、早急に150万円超の払戻しを受けたい」という場合には、この方法は使えません。
したがって、仮分割の仮処分を活用できるケースは、「他の相続人との間で相続トラブルが起きており、払戻しについて相続人全員の同意を得ることが難しく、かつ150万円超の払戻しが必要な場合」に限定されるということになります。
次に、仮払い制度で引き出せる上限額について解説します。
上限額の計算にあたっては法定相続分をきちんと把握しておく必要があるため、あらかじめ計算しておきましょう。
払戻しを受けられる上限額は、民法909条の2において以下のうちいずれか低いほうと定められています。
すなわち、ひとつの金融機関ごとに150万円を上限とし、最大で預貯金の3分の1法定相続分にあたる金額の払戻しを受けられる、ということです。
そのため、この金額を超えて早急に払戻しを受けたい場合には、家庭裁判所で仮処分の手続きによることになります。
仮分割の仮処分の場合、法律で上限額は設けられておらず、ケースバイケースで家庭裁判所による判断がなされ、払戻額が決定されます。
ただし、「他の共同相続人の利益を害しない範囲の払戻し」が要件と定められているため、実際には仮処分の申し立てをした相続人の法定相続分が上限額となることが多いでしょう。
家庭裁判所を通した払戻しは要件が厳しく、裁判所に提出する書類も多いため、必ず弁護士に相談しながらおこなうようにしましょう。
ここでは、仮払い制度を利用するために必要な書類について解説します。
必要な書類は、各金融機関や裁判所によっても異なるため、手続きをおこなう前に直接確認しておくことをおすすめします。
銀行で直接手続きをする場合には、以下のような書類が必要です。
家庭裁判所を通した払戻しの場合、以下の書類が必要です。
ただし、仮分割の仮処分を受けるためには遺産分割調停または審判を起こしている必要があり、調停・審判を起こす際に被相続人や相続人の戸籍謄本などが必要となります。
ここでは、預貯金の仮払い制度を活用し、実際に払戻しを受けられる金額の計算例を紹介します。
銀行から直接払戻しを受ける方法と、家庭裁判所を通す方法がもつそれぞれのメリット・デメリットをしっかりと把握しましょう。
ここでは、以下のケースを想定し、具体的な払戻し金額を計算してみます。
この場合、配偶者の法定相続分は2分の1、子それぞれの法定相続分は4分の1であるため、長男が払戻しを受けられる金額は次のように計算されます。
銀行から直接払戻しを受ける場合には、①各相続人がそれぞれ払戻しを受けられること、②同一の金融機関から払戻しを受けられる限度額が150万円であることの2点に注意が必要です。
一般的な葬儀費用の相場が100万円~150万円といわれていますから、このケースでは裁判所を通すことなく、無事に払戻しを受けることができました。
相続ではプラスの財産だけではなく、マイナスの財産も承継の対象となるため、相続放棄をしない限り相続人が借金の返済義務を負うことになります。
そこで以下からは、被相続人が多額の借金を抱えており、相続開始後に返済をするため預貯金からの払戻しをするケースを検討します。
先ほど確認したように、長男が銀行から直接払戻しを受けられる合計額は225万円であり、借金1,000万円の返済には及びません。
このような場合には、裁判所を通じた仮払い制度の活用を検討しましょう。
長男の法定相続分は4分の1ですから、被相続人の預貯金の合計額3,900万円のうち遺産分割により長男は975万円を取得できる可能性があります。
そのため、長男が裁判所に対し「被相続人の借金を返済するために法定相続分全額の975万円の払戻しを求める」と申し立て、裁判所がそれを認定すれば、975万円の払戻しを受けられます。
民法の改正により、相続開始後の預貯金払戻しは便利になりましたが、いくつか注意しなければならないこともあります。
場合によっては、相続放棄ができなくなるなど取り返しのつかない事態にもなりかねないため、事前にしっかりと制度を確認したうえ、不安があれば弁護士に相談してから手続きを進めるようにしましょう。
預貯金の払戻しを受けたあと、現金を使った場合、その使い道によっては単純承認とみなされ、相続放棄が認められなくなる可能性があります。
単純承認とは、遺産のプラスもマイナスも相続することで、一度成立した単純承認を取り消すことはできません。
たとえば、払戻しを受けた現金を全て葬儀費用に用いたり、被相続人名義の借金の返済に充てたのであれば、単純承認とみなされる可能性は低く、後日の相続放棄も認めらる可能性が高いです。
一方で、現金を自分の生活費のために使うと単純承認が成立してしまいます。
また、現金を自分の預金口座に入金するだけでも単純承認が成立するおそれがあるため、注意が必要です。
なお相続放棄には、原則として「相続の開始を知ったときから3ヵ月」という期限があるため、相続放棄を検討している方は早めに手続きをおこないましょう。
仮払い制度を利用して払い戻した預金は、遺産分割協議において払戻しを受けた相続人が取得したものとして取り扱われます。
たとえば、150万円の仮払いを受けた相続人が、遺産分割協議の結果、200万円を相続することになったとき、すでに払戻しを受けている150万円を差引き、残額の50万円を相続することになります。
一方、150万円の仮払いを受けた場合で、遺産分割協議の結果100万円を相続することになったときは、差額の50万円を他の相続人に対して支払わなければなりません。
このように、遺産分割協議の内容次第で大きく結果が変わるため、法定相続分以外の割合で遺産分割がおこなわれる見込みがある際は、慎重に仮払いを受けることをおすすめします。
預貯金の仮払い制度は、他の相続人の同意を得ることなく払戻しを受けられる便利な制度ではありますが、そのことがかえって他の相続人とのトラブルに発展する可能性もあります。
たとえば、葬儀費用のために必要な支出を補うために払戻しを受けた場合であっても、領収書等で支出した額を証明できなければ、「本当は自分で好きに使ったのではないか」と疑いをもたれてしまうかもしれません。
そのため、払戻しを受ける際にはできる限り他の相続人にも連絡するようにし、どうしても同意を得ることが難しい場合には、支出額を証明できる領収書等を必ず保管しておきましょう。
遺言による遺贈や、特定の法定相続人に対して「相続させる」旨の遺言がある場合、その預貯金に関しては仮払いの対象とはなりません。
そのため、遺贈や遺言の内容について金融機関が知っている場合には、払戻しの請求をしても認められないことになります。
言い換えると、遺言書の存在を金融機関が知らない場合には法定相続人からの申し出に対し金融機関は払戻しに応じることとなるため、遺贈を受けた人や「相続させる」承継者として指定された法定相続人は、他の相続人による払戻しを防ぐためにも早急に金融機関に連絡しましょう。
本来、被相続人名義の預貯金の払戻しを受けるためには、相続人全員の同意を得るか、遺産分割協議をおこなう必要がありますが、①銀行との間で直接手続きをおこなうか、②家庭裁判所による仮処分を得ることで、各相続人が単独で払戻しを受けることができます。
ただし、単独での払戻しは他の相続人との間でトラブルに発展する可能性があります。
また、お金の使い道によっては相続放棄ができなくなるリスクもあるため、慎重な判断が必要です。
そのため、仮払い制度を利用する前にまずは相続人・相続財産の調査や、遺産分割協議を早急におこなえないか弁護士に相談することをおすすめします。
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