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公開日:2020.10.27 
取材記事

家族介護で葛藤を抱いてしまう介護の現状と問題点とは?|中央大学天田教授に取材

高齢化が現在もなお進行している日本では、介護を必要とする高齢者の数も増大傾向にあります。

 

身近な高齢者(親や親戚等)の介護をどうするべきか悩んでいる人も多いでしょう。

 

現在、日本の介護は変わりつつあります。2000年の介護保険制度の施行からより介護サービスが受けやすくなりました。

 

しかし、家族の介護の負担は「マネジメント・調整」の部分で増えてしまっています。

 

介護サービスの良い利用方法・家族介護における注意点を中央大学天田教授にインタビューをしてみました。

 

介護の負担を軽減する方法等も紹介されているので興味のある方は是非最後までご覧ください。

 

この記事は天田教授へのインタビューをもとにしたインタビュー記事となっています。
 

今後の介護について先生のお考え

アシロ取材班

これからの介護について天田先生のお考えをお聞かせください。

 

天田教授

介護保険法などに書き込まれているわけではありませんが、介護保険制度は「安定した家族介護」と「安定した経済的基盤」を前提に成り立っています。

 

介護の現場は家族介護が受けられる状況ではない方や経済状況が安定していない方にとっては大変使い勝手の悪い制度です。

 

そこに様々な問題も生じています。

 

ただし、今回は介護サービスを利用するようになったことで家族はどのような問題を抱え込まざるを得ないかについてお話します。

 

アシロ取材班

金銭的に余裕のない人や家族がいなかったり、身内が近くにいない人にとってはあまり実用的ではないということですね。

 

 

天田教授

私が調査を始めた1990年代半ばには、家族のみで介護を担わざるを得ない状況でしたが、現在は介護保険を利用することが当たり前になりました。

 

当時は介護サービスといっても家族介護者が一息つくためにデイサービスを利用したり、ショートステイを限定的に利用するという状況でした。

 

利用するサービスがごく僅かなため、介護の負担を家族が丸抱えしている家庭がほとんどでした。

 

ところが2000年になり介護保険が始まったことで、介護サービス利用のハードルがぐっと下がりました。

 

それは家族介護のあり方に大きな変化をもたらしました。

 

 

アシロ取材班

介護保険制度に問題はあるものの、家族の介護負担を減らす皮切りになったということですね。

 

介護を担っていた家族にとっては喜ばしいことですよね。

 

天田教授

かつては介護サービスを利用することへの抵抗感がある家族も少なくありませんでしたし、利用できるサービスも限定的でした。

 

息子の妻や娘が介護を担うべきであるというジェンダー規範や家族規範が強く、人様の手は借りるべきではないという意識が強かったのですが、介護保険が始まった20年でそれは一変しました。

 

現在では、自己負担の金額を気にしながらも、介護サービスはできる限り利用していって、家族がその中で「マネジメント役」「調整役」となって日常を組み立てていくという状況になっています。

 

その意味で、家族の「マネジメント・調整」の仕事は増大しました。

 

介護現場が抱える問題

 

 
アシロ取材班

介護保険制度によって介護の現状が変容していったということですが、当事者としては現状の変化についていけないといった問題も起きそうです。

 

現状、介護の現場ではどのような問題があるのでしょうか?

 

 

天田教授

問題の一つ目は、先ほど指摘したように、家族が介護のマネジメント役・調整役を担わなければならなくなったということです。

 

かつては家族の手によって日常の中に組み込まれていた介護をヘルパー、デイサービス、ショートステイなどを組み合わせてマネジメント・調整しなければなりません。

 

この家族マネジメントの増大はたいへんしんどいものです。

 

二つ目の問題は、社会サービスを利用することによる葛藤の増大です。

 

どういうサービスの組み合わせでやるのか、どんなふうに当事者に接してほしいのか、そのためにはどんなことを専門職に知ってもらいたいかなどを家族が判断・決定します。

 

たとえば、認知症の当事者がどんな思いで生きていて、どんなことに苦悩・葛藤していて、どんなことを言うと不機嫌になったり、どんな伝え方をすると当事者がスムーズに介護を受け入れるのかなどを状況の中で判断し、限られた時間で専門職に情報伝達します。

 

認知症の当事者にもそれまでの人生がありますから、当事者の性格や相性や他者を受け入れる“ツボ”のようなものがあります。

 

それを専門職に介護サービスを提供しながら担ってもらうよう家族介護者が依頼・提案していきます。

 

スムーズな日常生活を回していくためには家族がやるべきマネジメント・調整は膨大になります。

 

ただし、周囲はそれを全部こなしてくれるわけではありませんから、当然ながら、うまくいかずにイライラしたり、あるいは周囲に対する期待水準を下げたりします。

 

家族介護者はこのような葛藤を経験しています。

 

三つ目の問題は、介護する側が介護を受ける側と距離が取りにくい状況にあり、その苦悩と葛藤があります。

 

かつては「誰が老親の介護を担うか」をめぐって家族内でモメることが多く、主に長男の妻が介護を引き受けざるを得なかったのですが、この20年で妻介護・夫介護あるいは娘介護・息子介護が圧倒的に多くなりましたので、介護を受ける側の過去の姿と現在の姿とのギャップ・落差に苦悩しながら介護を引き受けざるを得ないため、“割り切る”ことがとても難しい。

 

要するに、介護する側が過去を引きずって介護せざるを得ないということになります。

 

当事者間にDVや虐待があった場合などは「介護する側-介護をする側」というようにはなかなか割り切れず、複雑な気持ちを抱え続けます。

 

 

アシロ取材班

元気な時の姿を知っているからこそ、辛い場面もありますよね。

 

 

天田教授

たとえば、自らの母親が老いた場合、かつて何でもテキパキとこなしていた母が台所でぼやを起こすようになった。

 

お味噌汁さえも作ることがままならなくなってしまった。

 

「あの母がまさかこんなになるとは…」といったギャップを感じて苦悩します。

 

とりわけ、この20年で息子介護が増大したがゆえに、そしてギャップを強く感じているのは息子介護のケースであると思います。

 

娘の場合、成人してからも継続して「母-娘」の関係を保ちながら、次第に老いていく母の姿を認識していくこともが少なくありませんが、息子の場合は親元を離れたり、あるいは成人したあとの親子関係が継続的に保たれていないために、親の老いていく姿を認識する機会が相対的に少ないです。

 

そのため、息子の中にある母親のイメージは自分が若いころのイメージの止まっていることも少なくありません。

 

 

アシロ取材班

そうなると、老いた母親とのギャップはより大きく感じられそうです。

 

 

天田教授

介護が始まって間もない頃は、息子の中にはかつての母の像があるがために「なんでこんなこともわからないのか」「どうしたのか」と感情的になってしまうケースがあります。

 

あるいは、元気だった母が老いたことを受け止めきれないことがあります。

 

自らの感情がうわっと大きくなってしまうがために、「仕方がない」「なるようにしかならない」といった合理的思考で考えることが困難になってしまい、日々の出来事をやり過ごすことができない。

 

もちろん、長い間、介護していくと次第にギャップが埋められていくことも少なくありませんが、すると別の意味で母に対して感情的になってしまうことがあります。

 

たとえば、母がだんだんと認知症が深くなり、自分の記憶もままならない状況で徘徊するようになると、「あ~、母は薬局に行こうとしていたのだな」といった具合にその理由がおぼろげながらも分かってきます。

 

このように、母親がなにゆえ外に出ようとしていたのか、なにゆえそうした言動を繰り返すのか、なにゆえ排泄に失敗してしまったのかが見えてきて、そうであるがゆえに、「母がいちばん苦しいかもしれない「母もしんどい」というように感情的になり、母親との距離がとりにくくになります。

 

このように家族介護者は距離の取れなさゆえのしんどさを感じています。

 

アシロ取材班

家族だからこそ距離感を取りにくいけれども、家族だからこそわかることもあるということですね。

 

ギャップというのはどの程度の期間で埋まるものなのでしょうか。

 

天田教授

一概にはいえません、ギャップを受け入れるまでには1年〜2年かかることが少なくありません。

 

よくいわれていることですが、介護は最初の1年が特にストレスフルです。

 

介護殺人事件や心中事件などに至るケースの多くはだいたい最初の1年といわれています。

 

10数年介護の末に介護殺人事件が起こるというのは実際には少ないのです。

 

この最初の1年〜2年でいかにギャップを埋め、社会関係を再構築し、新しい生活様式を作っていくことができるかがキモになります。

 

アシロ取材班

ギャップが埋まれば家族だからこそできることが増えそうです。

 

天田教授

もちろん、このギャップが埋まることで家族ゆえにできることがあります。

 

しかし、家族ゆえにできてしまうことが新たな葛藤を生じさせます。

 

たとえば、家族としてわかるがために、ついついこう考えます。

 

「本当はヘルパーさんやデイサービスの職員にもこう声をかけてほしいけれど、なかなかそれは言えない」

 

「本当は母の気持ちをおもんぱかってほしいけれど、ヘルパーさんにそこまでわかってもらうのは難しい」

 

「家族ならともかく他人にそこまで面倒かけるわけにはいかない」と考えることも少なくありません。

 

認知症の当事者の一挙手一投足、一言一句の理由がわかってしまうがゆえに「もう少し私も頑張れるのではないか」「もう少し在宅介護が続けられるのではないか」「グループホームに任せたらかえって認知症が進行するのではないか」「施設では妻は気落ちするのではないか」などと苦悩してしまいます。

 

 

アシロ取材班

ヘルパーなどの介護サービスがあったとしても介護から苦悩がなくなるわけではないのですね。

 

 

天田教授

介護をマネジメント・調整する必要がありますので、24時間介護が頭から離れない、介護サービスを利用している間も頭の片隅には常に介護のことがあるという方も多いでしょう。

 

また、現在は夫婦間介護が増えていますし、親子間介護であっても少子化のため他の家族からのサポートが得られにくいので、介護者が社会的に孤立してしまう。

 

たとえば、非正規で働くシングル男性介護の場合、介護を受ける母親以外の家族とも疎遠になっており、地域との関係もなく、友人や会社との関係からも断ち切られている。

 

いわば“社会関係ゼロ状態”になっています。

 

今日における家族介護のもっとも重要な点は、いかに「家族介護の世界」とは別様な「自分の世界」を作るかが問われているということではないでしょうか。

 

介護者をめぐり社会関係を再構築しつつ、家族がガス抜きをしたり、やり過ごしたり、気持ちを切り替えることができたりするような世界をどのように作ることができるかが重要です。

 

家族と当事者の距離の取れなさはこのようにして解除していくしかないかと思います。

 

アシロ取材班

ついカッとなってしまっても、他者からの一言で感情が治ることもありますもんね。

 

介護を続けていくうえで大事なこと

 

 

 
天田教授

「介護する側-介護される側」の二者関係の中では「母はなぜこうなった」だとか「なぜこうなってしまったのか」だとか考え込むことがあります。

 

介護者に対する要求が大きくなったり、コントロールしたいという感情が強くなりますが、結局はままならないゆえに家族の葛藤というのは小さくないのかなと思います。

 

このような時、他者の介在によってこの二者関係に自己完結しない世界をつくることができます。

 

アシロ取材班

介護当事者が孤立しないよう周囲の見守りが必要なのかもしれませんね。

 

天田教授

家族(血縁)」「地域(地縁)」「会社(社縁)」という三大社会関係ネットワークを再構築していく、あるいはそれ以外の社会関係ネットワークをいかに意識して形成することができるかがポイントになります。

 

特に男性の場合、社会関係ネットワークを妻と会社に依存しています。

 

そうであるがゆえに、妻と会社に依らない社会関係ネットワークをいかにつくることができるか、それを誰がいかに担うかということが問われています。

 

家族介護者は認知症の当事者のマネジメント役・調整役を引き受けざるを得ませんが、当の家族介護者の生活をマネジメント・調整してくれる人はいません。

 

ここに圧倒的な非対称性があります。

 

介護サービスを利用して、「多少自分の時間が確保できればリフレッシュできるでしょ」と考えられがちですが、そんな単純な話ではありません。

 

家族介護者が二者関係に閉塞されることなく、いかに社会関係を切り結び直し、別様な世界を構築するか、そのマネジメント・調整を誰がいかに担うかの問題です。

 

現代の家族介護の抱えている非対称性問題がここにあります。

 

アシロ取材班

家族介護者だけで負担しないことが必要ですよね。

 

介護のマネジメントには相当の負担がありそうですし。

 

天田教授

更にいうと、本来はケアマネージャーがもっと積極的にコミットし、介入することが求められているのだと思います。

 

ただし、たんにケアマネージャーの関わりを増やすだけでは解決しません。

 

むしろ、それだけではケアマネージャーの負担が増えるだけです。そうではなく、私たちの社会において誰がいかにマネジメント・調整の仕事を誰がいかに担うかの社会制度をいかに構想するかが問われています。

 

当事者と家族をともに踏まえつつ生活を組み立てていく、当事者ならびに介護者の社会関係を再構成していく、そういうマネジメント・調整のために、いかなる制度設計を構想することができるのかが私たちに求められている課題だといえます。

この記事の取材協力
中央大学 文学部 社会学専攻
天田 城介 教授
1972年埼玉県生まれ。専攻は社会学。著書に『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』、『老い衰えゆく自己の/と自由』、『老い衰えゆくことの発見』ほか多数。天田城介のホームページは以下参照。

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ベンナビ相続(旧:相続弁護士ナビ)編集部
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本記事はベンナビ相続(旧:相続弁護士ナビ)を運営する株式会社アシロの編集部が企画・執筆を行いました。 ※ベンナビ相続(旧:相続弁護士ナビ)に掲載される記事は弁護士が執筆したものではありません。 ※本記事の目的及び執筆体制についてはコラム記事ガイドラインをご覧ください。
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